東京国立近代美術館で「菱田春草展」・映画「天心」を鑑賞2014/10/17

今日は「菱田春草展」・映画「天心」を鑑賞してきました。会場の東京国立近代美術館に着いてみると、平日にも関わらず切符売場には長い行列です。
一般の人から見ると同時代に生きた横山大観に比べて菱田春草の方は早世したので、圧倒的に作品数が少なく、地味な印象があるのですが、すごい人気です。
菱田春草展

東京国立近代美術館

東京国立近代美術館

横山大観、菱田春草といえば、朦朧体。この展覧会でも東京美術学校の時代から晩年までの朦朧体の変遷や大胆な色使い(後期印象派のような点描まであるのには驚きました)の作品が時代を追って鑑賞できます。
それにしても菱田春草18才の作品のうまいこと。これが18才の作品?と思わずにはいられません。若い頃から相当な実力の持ち主であったことがわかります。

展覧会を観た後は、地下のホールで岡倉天心の映画「天心」を鑑賞しました。フェノロサ、横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山も当然登場します。
岡倉天心の映画「天心」

日本美術院を創設したいきさつ、日本美術院が辺鄙な五浦海岸に本拠地を移し、その頃の苦難の時代(菱田春草の奥さんは画が売れなくて生活に困窮し、呉服をすべて売りに出すエピソードなど)も丹念に描かれていました。その後文展で菱田春草の作品が最高位となって有名になり、困窮した時代から脚光を浴びる時代へと感動的に描いていきます。
ところが映画が終わって、パンフレットを購入して解説を読んでみたところ、映画と違う話が...

日本では朦朧体の画は売れなかったのですが、五浦海岸の時代に、岡倉天心は欧米で横山大観、菱田春草の展覧会を企画・開催したところ、評判となって、朦朧体の画が相当売れたと書いてあるではないですか。食べるものにも困るどころか、横山大観、菱田春草は帰国後、二人とも東京に家を新築するほど収入があったようなのです。
映画は感動させるために史実を捻じ曲げているような...

ちょっと映画には?がありましたが、映画鑑賞後、金曜日で遅くまで開館しているので、所蔵作品展「MOMATコレクション」も鑑賞してきました。東山魁夷の代表作、藤田嗣治の戦争画などが展示されています。
4Fには「眺めのよい部屋」があり、大手町、丸の内の夜景が楽しめます。
東京国立近代美術館

コメント

_ (未記入) ― 2014/10/24 00:01

史実では、大観、春草らの渡米は五浦時代より前だそうです。
渡米中に絵を売った資金で、大観と春草は東京に自宅を新築しますが、その直後に天心から五浦に来いと言われ、泣く泣く家を売ってきたそうですね。
以下は、大観自叙伝を基に朝日新聞が特集した『横山大観と3人の妻』(2008年01月26日付)からです。

翌1906年、東京・四谷の材木商の娘、直子をめとるが、すぐに師・岡倉天心の命で大観や菱田春草(ひしだしゅんそう)ら教え子たちは五浦に活動の拠点を移さねばならなかった。
五浦時代には絵も売れず、飯のおかずに魚を釣ってしのぐような貧しさ。この数年のうちに、父と妹が相次いで病没。直子も肺を病む。栄養状態の悪さが影響したのではなかろうか。
大観の住居跡には今、温泉のわくホテルが立つ。近くにある茨城県天心記念五浦美術館や天心の残した六角堂と合わせて観光地をなしている。海から日が昇る荘厳さは比類がないという。
しかし、大観にとっては苦い記憶の地だった。孫の横山隆さん(74)は、晩年の大観が五浦時代を振り返って「絵の上でも精神的にも自分のためになっていない」と語るのを聞いた。
http://www.asahi.com/travel/traveler/TKY200801250246.html

_ Fukumoto ― 2014/10/24 12:41

映画のパンフレットの解説も説明不足。映画の描き方もエピソードを省略しすぎで、どこまでが真実なのかよくわからないままでした。詳しい説明ありがとうございました。

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